ナイアガラトライアングルVol.1 50周年記念盤予約開始!

ナイアガラトライアングルVol.1

おはようございます!
レコード男子です。
アルバム「ナイアガラトライアングル Vol.1」の50周年記念盤が2026年3月21日に発売予定です。
発売から50年の時を経てなお愛されるこのアルバムについて、僕のアルバムコレクションから「ナイアガラトライアングル Vol.1」を紹介します。

※この記事には広告が含まれています。

目次

「ナイアガラトライアングル Vol.1」とは?

1976年3月25日に発売されたナイアガラ・レーベル(主宰:大瀧詠一)のアルバムとして大滝詠一、山下達郎、伊藤銀次の3人によるトライアングル作品
かつて大瀧詠一は、レーベルの作品を量産する一つのアイデアとして3人でアルバムをリリースすれば、そこから発展して3人がそれぞれナイアガラ・レーベルでレコードを発売すれば通算4枚の作品が発表できると発言したことがあった

「ナイアガラトライアングル Vol.1」発売前、ナイアガラ・レーベルは、1975年4月25日にシュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN/いつも通り」とアルバム『SONGS』、同年5月30日に大瀧のセカンド・アルバム『NIAGARA MOON』、1976年大滝詠一のソロ・アルバム『GO! GO! NIAGARA』がそれぞれ、リリースされている

収録曲

このアルバムには、「ドリーミング・デイ」「パレード」「遅すぎた別れ」「日射病」「ココナツ・ホリデイ ’76.」「幸せにさよなら」「新無頼横町」「フライング・キッド」「FUSSA STRUT Part-1.」「夜明け前の浜辺」「ナイアガラ音頭」の11曲が収録されている

アーティスト(トライアングルの3人)

大瀧詠一

僕の敬愛するミュージシャン大瀧詠一さん

音頭は音楽の原点だという大瀧さんは、はっぴいえんど時代には日本のロックを引っ提げてフォークシンガーのライブにも精力的に参加していた。独立してからは、独自の音楽的解釈によりオールデイズから日本の音頭まで楽曲に取り入れながら音作りに拘りながら作品を提供してくれた。
2013年に亡くなってからも大瀧詠一さんの残したサウンドは多くの人に受け継がれている。

山下達郎

いまでも色褪せないサウンドを提供し続けているミュージシャン山下達郎さん

サタソン、サンソンはいまでも楽しく拝聴、オールデイズへのこだわりは達郎さんの人生そのものを表しているよう。達郎さんの作品は古くなることなく世代を超えて愛されている。

伊藤銀次

軽快でポップなサウンドが心に届くアーティスト伊藤銀次さん

佐野元春浜田省吾ウルフルズのアルバムのプロデュースをはじめ多くのアーティストへの楽曲提供など歌手のみならず俳優にもその才能を惜しみなく提供している。

伊藤銀次オフィシャルブログ「サンデー銀次」

ミュージシャン

「ナイアガラトライアングル Vol.1」には、いまや超一流となっている多くのミュージシャンが参加している

PRODUCER: 大瀧詠一
CO-PRODUCERs: 山下”クマ”達郎、伊藤”Old British Rocker”銀次
ENGINEER:笛吹銅次(レコーディング・エンジニア、ミキサーとしての大瀧詠一)
STUDIO: 45. Fussa & COLUMBIA,Akasaka
SPECIAL GUEST: 布谷文夫(from English Companion, Kawagoe)
COVER DESIGN: 中山 泰(from Richie Young Studio)

OUR GUESTS: 坂本龍一吉田美奈子(Courtesy of RVC Records)、稲垣次郎セクション、上原”ユカリ”裕村松邦男大貫妙子(3名、from Sugar Babe)
GINJI’S GUESTS: 吉田健斎藤ノブ平野肇(3名、from Bye Bye Sessions Band)、松田”アリちゃん”幸一(from Last Show)
KUMA’S GUESTS: 寺尾次郎(from Sugar Babe)、中野督夫(from SCR)(Coutesy of CBS SONY Records)
BANNAI’s GUESTS: 細野晴臣鈴木茂松任谷正隆林立夫(4名。from Tin Pan Alley)(Courtesy of CROWN Records)、駒沢裕城(from Sunset Gang)、ナイアガラ社中
*BANNAI:EIICHI

楽曲の解説

各楽曲についてオリジナルアルバムに付属しているライナーノーツから解説を引用してお知らせします

SIDE-1

ドリーミング・デイ

作詞:大貫妙子、作曲・編曲:山下達郎

山下達郎さん曰く

この曲はこのLPのために書き下した曲で、僕が3年間大瀧詠一氏とつき合って色々影響を受けた事を僕なりに表現したつもり、だから本当の意味でのDedicationはTO EIICHI OHTAKIとなります、作詩は大貫妙子。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

この曲の仮題は「Clyde McPhatter Burger」というジョークめいたタイトルでしたが、これは、R&Bの巨匠クライド・マックファター(Clyde McPhatter)と、山下さんが当時影響を受けていたアメリカのポップカルチャーや音楽(ハンバーガーなど)を組み合わせた、独特のネーミングセンスが光る逸話として知られています。

パレード

作詞・作曲・編曲:山下達郎

74年春頃に作った曲で、シュガー・ベイブにレコーディングの話が持ち上がった時に、シングル向けの曲として作ってもっていった所、全然売れそうでもないといわれ(シングル向きではない、と言っただけ。注-大瀧)結局1枚目のLPにも入らなかった。捨てておくにはもったいないし、かと言ってシュガー・ベイブのサウンドとしてはもう古い感じなので今回このアルバムに収める事にした。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

遅すぎた別れ

作詞:伊藤銀次、作曲・編曲:山下達郎
Dedicated to Kingtones

もともとはキング・トーンズ用に74年秋頃作曲したもので、当時「語り」の曲にとても興味があり、銀次と僕(大瀧)と松村邦男の3人で徹夜で詩のアイデアを練った、さて誰がこのセリフを喋るかという段になって。一人一人マイクの前に立ち、ロバート・レッドフォードの解説文を読んだところ、銀次が一番いやらしいムードを出せたので彼が栄光の座につく事と相成った次第。オソマツ。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

夜っぽいムード・ドラマ性が強く、アルバムの中でも異色作として際立っている。
それにしても大瀧詠一さんが語る制作のバックストーリを知ると、なんと楽しそうに作品を作っているんだろう!現場の様子が目に浮かぶようで短いノートなのにわくわくさせられる。

キング・トーンズといえば、子供のころに聞いた「グッド・ナイト・ベイビー」はお茶の間で何度も聴いたことから結構ヒットしていたんだろうな・・・

「グッド・ナイト・ベイビー」 (GOOD NIGHT, BABY) は、1968年5月1日に日本グラモフォンから発売されたザ・キング・トーンズのファーストシングル。第2回日本有線大賞(1969年)特別賞受賞曲。
出典:Wikipedia

日射病

作詞・作曲・編曲:伊藤銀次

伊藤銀次さん曰く、「ごまのはえ」時代に作ったカントリー・ロック。
日射病を作った1970年代には「猛暑日」や「熱射病」なんていう、おそろしい言葉はなかった。
当時の伊藤銀次さんには「日射病」という言葉が、「蜃気楼」や「摩天楼」のように、とても「かっこいい」日本語に映ったそう。
「日射病」は、チャッド&ジェレミーのアルバム、「The Ark」(邦題ノアの方舟)の2曲目の邦題から、ヒントを得たという。

伊藤銀次オフィシャルブログ「サンデー銀次」
2010年08月08日号□でご本人が詳しく語っているので是非一読してちょうだい!

ココナツ・バンク時代の曲。伊藤によれば「結局アルバムは出なかった、というところで、ココナツ・バンクで、続いていればやったはずの曲を全部、ここで入れておきたかったという。そうしないと、次に行けないような気がしたから、ここで一人でココナツ・バンクを清算した」という。
*伊藤銀次「MUSICIAN FILE 伊藤銀次徹底研究」『ミュージック・ステディ』第3巻第3号、ステディ出版、1983年8月20日、115-146頁。「Talking About My Songs」
出典:Wikipedia NIAGARA TRIANGLE VOL.1

ココナツ・ホリデイ ’76

作詞・作曲・編曲:伊藤銀次

元タイトルは「紙ひこうき」。大滝のアドバイスで「ココナツ・ホリデイ」に改題された。当時のココナツ・バンクの名残と、ナイアガラ側の新しい遊び心が混ざった曲。

はっぴいえんどラスト・ライヴ“CITY -LAST TIME AROUND”(1973.9.21 SHOW BOAT 素晴しき船出)でも演奏されているが、元は「紙ひこうき」というカントリー・ロックのような曲名だったが、大滝のアドバイスで「ココナツ・ホリデイ」になったという。かつて伊藤はこの時のアレンジが心残りだったことから[9]、2003年にココナツ・バンクとして初のアルバム[注釈 10]に「ココナツ・ホリデー2003」として再レコーディングされた。コーラスの「コーコーナッツ」は、ココナツ・バンクがバックを務めた大滝のブルボン「ココナッツ・コーン」のCMソングのコーラスからの流用。また、シングル「ナイアガラ音頭」のB面曲「あなたが唄うナイアガラ音頭」におけるイントロの珍事は、この曲からセレクトされたものが使われている[12]。
はっぴいえんどラスト・ライヴ“CITY -LAST TIME AROUND”セットリスト参照
出典:Wikipedia NIAGARA TRIANGLE VOL.1

SIDE-2

幸せにさよなら

作詞・作曲・編曲:伊藤銀次

伊藤銀次さんが73年大阪帰郷中に、当時の恋人との別れやバンド内の不仲などを思いながら作った曲。

この曲は、73年の暮、銀次が加山雄三の曲調を意識して作曲、僕(大瀧)のところへもってきた、さっそく、彼(加山雄三)に売り込もうとしたが失敗、現在に至る、尚原題は”想い出にさよなら”、悪くメリサ・マンチェスターが同名の曲を発表、こっちが早いと言っても信じてもらえないだろうし、又、真似をしたといわれるのが癪で、タイトルを変えた、尚この曲はシングルとして発表する予定、シングル・ヴァージョンとこれとはかなり違えてあるので、必聴されたし。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

新無頼横町

作詞・作曲・編曲:伊藤銀次

当時伊藤が読んでいた本に刺激を受けた“スラップスティック・ロック”。泥臭くてドタバタ感のあるアレンジが特徴。

NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツには、Side-1の「日射病」「ココナツホリデイ’76」「新無頼横丁」で一括りとしてノートされている。
ココナツホリデイの「’76」って、前年にヒットした映画「エアポート’75(公開は74年)」とか「Gメン75」とかの影響なんだろうか?

以上3曲共(日射病、ココナツホリデイ’76、新無頼横丁)幻のバンドとして名高いココナツ・バンク(旧ごまのはえ)の名曲、そのバンドリーダー、又3曲の作曲者でもある伊藤銀次が、自らのルーツに近ずけた感じで今回再録音した、以前のメンバーや、一時在籍したシュガー・ベイブ、そして現在籍を置いているバイ・バイ・セッション・バンドを通しての伊藤銀次の自己のルーツの再確認の度合いがうかがわれる作りとなっている、尚興味を持たれた方は前述のものと聞き比べ願いたい(尚以前のものはライヴである)。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

ごまのはえ(伊藤銀次さんのwikipedia参照
ココナツ・バンク(HMV)
ココナツバンク関連記事JUNGLE LIFE

フライング・キッド

作詞:吉田美奈子、作曲・編曲:山下達郎

福生の大瀧氏の自宅スタジオに1週間程寝泊りした事があって(電車のストで閉じ込められた。注ー山下)(ナイアガラには送迎の車がある。注ー大瀧)その時に感じた福生の空気を曲にしようと思って作った、作詩は吉田美奈子、この曲は是非歌詞カードを見ながら聞いて頂きたい、僕が歌っている詩は、彼女の原詩のことばのイメージだけ抽出したもので、いわばイメージ・サウンドとでもいうもの。具体化された世界は歌詩カードに表されている。
以上 文責 山下達郎 注責 大瀧詠一
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

ライナーノーツの解説にある「具体化された世界は歌詩カードに表されている。」というのは、歌詞の一部だけを抽出した言葉をメロディにのせ歌われているため、全体像は歌詞カードを見てといっている。
録音中の仮題は「福生スケッチ」だという。

FUSSA STRUT Part-1

作曲・編曲:大滝詠一

かつて「ゴー・ゴー・ナイアガラ」(ラジオ番組)へのリクエストから生まれた曲。後に “Part-2” として展開された「Fussa Strut」に繋がるモチーフの原点。

大瀧詠一さんによれば、「FUSSA STRUT Part-1」が実は「FUSSA STRUT Part-2」のあとにできたというお話。

『NIAGARA MOON』に収録されている「福生ストラット」が“Part2”ならば“Part1”もあるのでは、という「ゴー・ゴー・ナイアガラ」への投書でのリクエストを受けて制作された[3]。後にYMOを結成する細野晴臣と坂本龍一のレコーディング・セッションでの初顔合わせ曲だと言われている[14]。
出典:Wikipedia NIAGARA TRIANGLE VOL.1

夜明け前の浜辺

作詞・作曲・編曲:大滝詠一

本来は前作『NIAGARA MOON』時に録音されたが、アルバムの雰囲気と合わないとして見送られた。しかしこのトライアングルで「歌える曲」として蘇った背景がある。

LP”ナイアガラ・ムーン”のために録音した曲は16曲、その中の未発表曲(ジダンダ他)の一つ。
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

wikipediaの解説は以下。

元々は『NIAGARA MOON』制作時に「夜の散歩道」としてレコーディングされていたが、アルバムの構想に合わないとの判断から収録が見送られていた作品[10]。レコーディングとミキシングのエンジニアを手がけて時間がなかったため、歌える楽曲として選ばれた。大滝によれば数分で詞を作って、2回歌ったきりだという[15]。2014年、鈴木雅之のカバー・アルバム『DISCOVER JAPAN II』にてカバーされた。
出典:Wikipedia NIAGARA TRIANGLE VOL.1

ナイアガラ音頭

作詞・作曲・編曲:大滝詠一

当時のラジオ番組へのリクエスト葉書から発想された“遊びの歌”。でもこの遊び心がアルバムの自由さ、実験性を象徴した一曲になった。純邦楽と洋楽を混ぜたサウンド構成で、録音時に混ざり合ったとき、関係者が「今世紀最高の傑作だ」と唸った、という後日談も伝わる。

私(大瀧詠一)のⅮ・J番組”ゴー・ゴー・ナイアガラ”(ラジオ関東 午前0時ー0時50分)に来たリクエスト葉書よりインスピレーションを頂いて出来た曲。
以上文責 大瀧詠一
出典:NIAGARA TRIANGLE VOL.1 ライナーノーツより

wikipediaの解説を引用しておきます。

「ゴー・ゴー・ナイアガラ」に来たリクエスト葉書からインスピレーションを得て作られた[6]。ボーカルはブルース・クリエイション – DEWの元メンバーで、以前から大滝と親交のあった布谷文夫。本楽曲では“新民謡歌手”としてクレジットされている。これ以後、第1期ナイアガラに欠かせない存在となる。レコーディングは純邦楽側と洋楽側で別々に行われ[15]、スタジオで初めて両方をミックスする時に居合わせた山下は、純邦楽と洋楽が違和感無くクロスオーバーしていたことに驚き「今世紀最高の傑作だ」と叫んだという。
出典:Wikipedia NIAGARA TRIANGLE VOL.1

後記

アルバム「ナイアガラトライアングル Vol.1」の50周年記念盤が2026年3月21日に発売予定というニュースを受けて整理されていない僕の混沌と化したレコード棚からなんとかこのアルバムを引っ張り出して来ました。
アルバムとしてのデジタル音源が配信されていないのでライナーノーツを読みながらレコード盤を聴き、なるほど、こうなっていたのか!と思い当たりました。
なにしろ当時は音楽にあまりいろいろなジャンルの音楽を聴いていなくて、なんとなく一枚のまとまりとしてしっくりこなかったような印象を抱いた。
50年の時を経てこれが50年前にアルバムとして完成していたことへの畏敬の念を禁じえない。
アルバムを持っているのに50周年記念盤をポチっとしてしまった。
アナログ盤だけでなく、特典ビデオにも惹かれてCD+BD+ブックレットのVOXも一緒にポチってしまった!!!
支払いがコワイ!

相棒のChatGPTの協力を得て、白昼夢の中、もし3人が揃ったらどんなコメントをくれるのか夢想してみました。

白昼夢~もし3人がこのアルバムを今振り返って語っていたら

「制作当時の熱量」「背負っていたもの」「自由への憧れ」「遊び心」が感じられる語りになりました~!

大瀧:「あの当時、“ただ好きな音楽を作りたい/聴きたい”っていう純粋な気持ちがあった。型に縛られず、ジャンルも人も越えて、“三人で好きなものを持ち寄る”――それがこのアルバムの出発点だったんだ」

山下:「“ドリーミング・デイ”を書いたとき、正直言って“あの大瀧が喜ぶか”なんて考えてなかった。ただ、福生で過ごした時間とか、酒の酔いとか、そういうのをギターにのせたら自然に浮かんだんだ。結果、“これがナイアガラのポップスだ”って信じられるものになったと思う」

伊藤:「“ココナツ・バンク”だったあの自分を区切るためにも、ここで全部出し切ろうと思った。“日射病”も、“幸せにさよなら”も――当時の自分の痛みも不安も全部。それをこのアルバムに託したかった」

大瀧:「“ナイアガラ音頭”みたいな、遊び半分で作ったような曲があるからこそ、このアルバムの“軽さ”や“自由さ”がある。後で聴き返して、あの冒険は間違ってなかったと思えるんだ」

山下:「純邦楽と洋楽が違和感無くクロスオーバーしているなんて”今世紀最高の傑作だ~!”」

おわりに

『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』は、
完成度を競った作品ではない
それぞれが、その瞬間に持っていたものを
ふっと置いていったレコードだ

50年経った今でも、針を落とすと、
1976年の昼と夜が、あっさりと立ち上がる

結局、
このアルバムが50年残っている理由は
ただ一つだと思う・・・

聴くたびに、別の“自分の物語”が勝手に始まるから

それはたぶん、
大瀧詠一が一番やりたかったこと

もしこの記事が、
棚の奥からこのレコードを引っ張り出す
きっかけになったなら――
それだけで、十分だ

(レコード男子リョータ記)

以下、広告です~!

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この記事を書いた人

レコード好きが高じて「レコード男子」としてレコードネタやエンタメの情報を発信する日々。
片付けが苦手なのに心機一転、物置部屋をリニューアル。
レコードは1000枚程度だけど既にスペースが足りなくなる始末。
バッグもレコードが収納できるかどうかで選んじゃう。

音声SNS Clubhouseのルームでレコード男子リョータとして、レコードや趣味ネタについて語っています。
アカウント: @record_danshi (MAKOTO INOUE)

No Life, No Records.
Always look on the blight side of Life.

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